どうもこたにんです。
あみだくじ、ってあるじゃないですか。
何か決めたいときにいっぱい線引いてやるやつ。
なんかふと、あみだくじについて思いを巡らせはじめてしまったので着地点も見定めずしたためます。
はい、目次どんっ!
あみだくじっていつ認知したっけ
あみだくじ、って気付いたら知ってるよね。
誰に習うわけでもなく、小さい頃にはすでには知ってるよね。
たぶん、絶対、こいつのせい。
あみだくじで一番最初に思い付くのこいつ!
絶対そうだよ、このガムのやつだよ、あみだくじだよ。
いや、こういう話がしたくてあみだくじのこと考えてるわけじゃないんだよ。
ちくしょう、駄菓子食べたい。。。
蒲焼さん太郎、ビッグカツ、どんぐりガム、、、
くぅ〜〜〜〜。
あみだくじの語源って?
あみだくじは、阿弥陀籤と書きます。
室町時代にあみだくじは生み出されたらしく、その当時は円状に書いていたらしい。
そのかたちが、阿弥陀如来の後光に似ているということから、阿弥陀籤、らしい。
なんだそれは知らなかった、いい雑学を手に入れた。
阿弥陀如来の後光が、あみだくじの語源なんだって。
ぴっかーーーーーん!慈悲みが高いーーーー!!
慈悲み、エモい。
円状のあみだくじ???
で、円状のあみだくじってなんだ?
室町時代の人は何を考えているんだ?
ということで調べてみたら、こういうあみだくじが初期のものらしい。
遊び方!
- こういうのを紙に書く
- 真ん中の数字のところをお椀で隠す
- 紙を回す
- 線を選ぶ
- お椀を取る
- 数字が決まる
なんと、なんとまあ。
スマートでエレガントなこと。
最高に素敵で最高に公平じゃないかしら。
最高にコストパフォーマンスのよいくじ、素敵、慈悲みが深み。
現世のあみだくじは不公平なんです
現世の、デファクトスタンダードの縦に並べるタイプのあみだくじ。
室町時代の慈悲みの高いあみだくじに比べて、現世のものは私利私欲にまみれてしまいました。
現世のあみだくじって実は、公正さに欠けるのです。
というのも、始点からそれぞれの終点まで、たどり着く確率が均一でないのです。
始点の真下を平均値として、正規分布に確率は漸近します。
シンプルに言うと「始点の真下が一番たどり着く確率が高い」というわけです。
すなわち、不公平なんです。
数学的な解説はWikipediaに任せます。
あみだくじ - Wikipedia
始点と終点の間に線を引いてそこを隠しておいても、終点狙いで始点を掴み取れば勝ちやすい。
現世のあみだくじは、強欲に塗れた競争社会の縮図なのです。
なんとまあ、無慈悲。
そんな不公平なあみだくじですが、間の線を引けば引くほど、確率は均されていきます。
とにかくコストをかければかけるほど公平なくじが出来上がるというわけです。
うーん、たかがあみだくじ。
だったらもはや、先人が創り出した、エレガントで慈悲みの深いやつでよくない?
コストかけるほどの価値があみだくじにあるのか?
コストをかければかけるほど公平なあみだくじは作れる。
ただのあみだくじにそんなコストをかけるようなことがあるか?
あみだ作成にかける時間、インク、紙、人。
そのコスト、そのくじびきに必要?
あみだくじをせざるを得ない状況がそもそも、何か課題があるのかもしれない。
本質を見失ってはいけない。
はーーー、おわり!
テンションに任せて書きまくって今読み直してみたけど。
なんだこの記事。