Binary Diary

Take Agile で

甘えること

どうもこたにんです。

甘えること

ふとね。

こんなことを思ったのです。

というのも、わたしがとても信頼して尊敬している同僚からこんな一言をもらって。

見てて思うのは、甘えていいのでは?って感じました。
甘えてお願いするというのができる人間関係作ってるんだから、甘えちゃえ!

もうね、半泣きよ。
さすがエモさピカイチ同僚。

この言葉をかけてもらった経緯は、同僚と飲みにいっていろいろ話していたところから。
「わたし今すごく負荷高くてキャパ溢れてしまってなあ」という相談をして。
それをいろいろ掘り下げ引き出してもらった結果、かけてもらった一言。

よく言われるんだよね。
ひとりで抱えすぎ、首突っ込みたがり、優しすぎ。
自分ではタスクを持ったり離したりしてるつもりなんだけど、そう見えないみたい。
それを裏返せば「お願いすることができていない」という状態。

なんでお願いできないのか

メンバーを信頼していない?それは違うとても信頼しているつもり。
他人にはできないと思っている?それは信頼と同じことなのでそれも違う。
頼むことに抵抗感がある?たぶんこれ、無意識にお願いすることを躊躇っている。

なんでお願いすることを躊躇うのか

お願いしようとするタスクが、その人のためになるかどうか、を考えすぎる。
成果が、その人の実力やキャリアの形成の手助けになるかを考えすぎる。
必ずしも全員がわたしが勝手に思い込んでいる動きをして成果を出すとは限らない。

実は権限を委譲・譲渡する能力を持ってないのでは

書き連ねながら悶々と考えていたらここに至った。
もしかしてわたしは、権限を委譲または譲渡することができない、下手くそなのかもしれない。
ここでいう権限というのは、タスクのアウトプットに対する責任や具象化。

どうしても気になる性分があるし、完璧主義的な部分があることは自覚している。
そういう自分の性質、プライドのようなものが、譲渡することに対して阻害している。
委譲スキルを身に付けること、これをエモく言うと「甘えること」になる。

どうやったら甘えられるのか

遅れや失敗や方向性の違いを認められない性分を、少し変えないといけなさそう。

手段や質は委ねる。
方向性がブレないように動きは随時吸い上げられるフローは明確にする。
そのアウトプットに対する責任は一貫して担う。

それが自分の思い描くアウトプットと合同でなくても相似していればよい。
全く同じアウトプットなんて作れない、ニュアンスの違いは当たり前に発生する。

自分の今の立場って、すごく委譲されていると思う。
仕事におけるいろんな役割を担わせてもらって、アウトプットは自分で考える。
それを成果物として出すし、方向性の指摘はあれど、手段に指摘は入らない。
自分が今までしてもらっていた譲渡を、これからわたしはしなければならない。

どうやったら甘えられるのか。
それは、今まで自分がどうやって甘やかしてきたのか、を考えれば良さそう。

成長は、勝手にする。
マネジメントは、そのためのきっかけを与えるに過ぎない。