どうもこたにんです。
お好み焼きは映えるのか
とあるところでこういう話をしました。
「お好み焼き映えるよね!」
「えっ」
映え、という言葉に対しての考え方の違いを体感した。
いったい映えとは、どういうことなのだろう。
映えを理解しているサイドから見たお好み焼き
映えに対して敏感で、何を映えとするのかを理解している人間にとって。
映えるのは、お好み焼きではない、らしい。
映えるのは「お好み焼きを多人数で食べている情景」らしい。
なるほどな。
軽い言葉でいうといかに「リアル充実」しているのかどうか、ということ。
それのマテリアルとしてお好み焼きがあるだけ。
お好み焼きの写真の先にある、楽しい空気を伝えること。
これが映えを理解しているサイドから見たお好み焼き、らしい。
映えを理解していないサイドから見たお好み焼き
ただの晩ごはん。
映えの先に何があるか
映えというのは、それをソーシャルに発信するところだけでない。
それを受け手がいかに感受性豊かに右脳的にイメージを沸かせられるかどうか。
そのためにどのような画角でどのようなマテリアルを映すかどうか。
映えの先に何があるか。
意外と、映えって、奥が深いのかもしれない。