どうもこたにんです。
目には目を
という言葉を耳にしたことがあるかと思います。
ちゃんと言うと「目には目を、歯には歯を」です。
この言葉は古代から言われてきた言葉。
ハンムラビ法典や聖書にも出典が確認されるほど、その昔から存在する考え方です。
痛い目を見せられたら同等の痛みで報復する、というような意味合いですね。
やられたらやり返せ、的な。
目には目で
ただこれ、長い年月を経て、意味合いが変わった言葉なのです。
ブッダやキリストにとっては、これは報復の意味合いではないらしいです。
「目に負わせた罪は目で償いなさい」と伝道していたらしいです。
さすが神仏、器の広さがハンパない。
立場の違いで解釈は変わる
この話からわかることは、立場の違いで解釈は変わるということ。
やられたらやり返せ、という敵対心を持った不幸の分かち合いではなく。
やってしまったらやられろ、という慈愛に満ちた不幸の分かち合い。
立場が違うことで、事象に対する捉え方は大きく変わるのです。
何か業務をしているときにミスをしたり障害を起こしたりしてしまうことはあります。
そのときに被害を受けた側からすると、明らかに敵対心は生まれます。
ただ被害を生んだ側からすると、生んでしまった不幸をいかに分かち合い、解消するかを考えます。
そうすることで、不幸は低減し、次に繋がるいいアクションとなるのではないでしょうか。
慈愛に満ちた広い心
「目には目を」ではなく「目には目で」の、慈愛に満ちた広い心で。
それすなわち、謙虚・尊敬・信頼。
神仏の教えがHRTの原則につながる。
昔も今も、人間というのは、共存ありき。