Binary Diary

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敵対心を懐柔してこそ大人

どうもこたにんです。

職場でとある相談を受けていたときに、こんな一言を発しました。


「大人になりなさい」

大人になる、ってどういうことでしょう。
それは様々な意味合いがあると思います。
が今回は、仕事をする上で、社会人としての「大人になる」について。
 

敵対心を持つ

何かの取り組みを集団で行っていくと必ず派閥というか意見の対立が生まれます。
そのときに少なからず「敵対心」を抱いてしまいます。
それは悪いことではなく、人間たるもの、自分の意見が通用しないのであれば仕方のない心情です。
 

敵対心は抱くものであって向けるものではない

敵対心を抱くことは、先も言ったように仕方のないこと。
ただ、その敵対心を感じたままに対象に向けることは違うんじゃないかな、と思う。
敵対心を向けた途端、敵対心は猜疑心となり、対立した意見はねじれの位置になってしまう。
そうなってしまうと、意見は交わらず取り組みは破綻してしまいます。
 

大人になる=敵対心を懐柔すること

その敵対心はなぜ起こってしまうのか。
冷静になって俯瞰して、敵から課題に変換する。
そうしてその課題に向き合って咀嚼する、そして手懐ける。
敵対心を懐柔できることが、大人になること、のひとつかもしれません。
 

どうしたら敵対心を懐柔できるのか

シンプルに言うと「感情を制御する」ことなのですが、状況によってはそう簡単にはいかない。
そのときは、ツールを頼る。

たとえば意見を言い合う場面において、ホワイトボードを用いる。
意見を人間に対して正面からぶつけるのではなく、白板に向かって書き出す。
それだけで宙に舞う意見は物理的に可視化され集約される。
文字で認識することで少し冷静になり、そのときに意見は課題になる。

他にもツールや手法は様々あるが、いずれも同様に、向かい合う2者から目線を逸らせることに重きを置いているはず。
先のホワイトボードの話も、お互いに向けていた目線を逸らすことが実は肝だったりする。
 

大人になりなさい

ここまできてようやく「大人になりなさい」の本意が明らかになりました。
敵対心を課題に昇華させ、論理的に分解して制御する。

それ即ち。