Binary Diary

誰かに会ったり 話しかけたり 街行く人に優しくね

お米の美味しい炊き方、そしてキャリアパスを描くことによるその効果。

どうもこたにんです。

お米のキャリアパス

とある会話をする中で、こんなパワーワードが生まれました。
話の経緯(というかわたしの一方的な弁論)はこんな感じ。

「お米って、美味しく炊かれることが本望だよね。
お米の立場になって考えてみたらさ。
育てていただいて収穫していただいてブランディングしていただいて
購入いただいて綺麗に洗っていただいて炊いていただいて美味しく召し上がっていただく。
それって、お米のキャリアパスとして最高じゃんね?」

続けざまにこの一言。

「だからもはや、お米を食べるときは『いただきます』じゃなくて『いただいてやろう』くらいでいいんじゃない?」

恐ろしい、この論理的思考である。
 

キャリアパスを他人が描くこと

これは、キャリアパスを他人が描いた結果です。
しかも勝手に。

それは本人にとって本当にそうなのだろうか?

お米としてはもしかしたら、不本意なのかもしれない。
品種改良してより高品質なお米を生み出すための一端を担うこと、をキャリアパスとして描いているかもしれない。
本人に聞かなければ、お節介なのかもしれない。

これはピープルマネジメントでも等しく同じことが言えます。
キャリアパスを勝手に描くことは、描いている側の自己満足。
本当に必要なのは、正しくヒアリングして共通認識でキャリアパスを構築すること。

キャリアパスを他人が勝手に描くことは、本人のためにならない。

お米と向き合っていく

キャリアパスを勝手に描いてしまったお米さん、申し訳ない。
これからは一合一合、お米と真摯に向き合って、キャリアパスを相互で見出しましょう。
(といっても、食卓に並んでしまえば、キャリアパスを描き直せないけど)

そのようにして、マイクロマネジメントをしていくのです。
米だけに。