Binary Diary

誰かに会ったり 話しかけたり 街行く人に優しくね

左を歩く行動

どうもこたにんです。

ふと、思ったのです。

わたしは誰かと歩くとき、左に立ってないと落ち着かない。
なんだか、とても違和を感じるのです。

それでアンケートを取ってみたわけですが。
3人に1人は、気にしないらしい。

わたしが左を歩く癖とそのきっかけ

あんまり気にしない人もいた。
ではなぜわたしは、気にしてしまうのか。
考えて考えてみたところ、たぶんそれは小学生のころに遡る気がする。

小学4年生〜6年生の3年間、サッカー部に入っていた。
別段上手くはなかったが、小学生身分として、それなりに部活動に勤しんでいた。
ポジションはフォワード(たまにミッドフィルダー)だった。

わたしは常に左サイドを張っていた。
当時、利き足が左足だった(ボールを扱うのが左のほうが得意、程度)ので。
左から攻め込んでセンタリングを上げるという戦法が得意で。
それもあって、左サイドから状況を俯瞰することがとても多かった。

このときの視野の持ち方が、今でも自分を組織しているもののひとつなのかもしれない。
だから、誰かと歩くときは左側じゃないと落ち着かないんじゃないかな。
と結論付けた。

全ての行動には根拠がある

日常の些細な行動にも、全て根拠があるんじゃないかしら。
今回の、どっちかのサイドを歩くことに拘りがあることもそう。

他にも、議論のときに意識的無意識的に関わらず取ってしまうスタンスとか。
食べ物を食べるときの順番とか。
寝る前、起きた後に取りがちな行動とか。

それら全てには、何かしら根拠があるのかもしれない。

言ってて思ったけど、わたしは起きた直後に食事を摂ることができない。
それは、できるけどやらない、んだろうけど、できないものはできない。
それもきっと掘り下げれば、何かしらの根拠があるのかもしれない。

根拠があれば行動、根拠がなければ衝動

行動には根拠がある。
それは何かしらの目的や性質を持っているからこそ発生することだから。
そこには必ず解決したいなにかがある。
(左を歩く話であれば、自分の中に感じる落ち着かなさを解消したい、とか)

ただ、根拠や目的のない行動というのは、衝動。
とっさの感情、とっさの思い付きで、脊髄反射的にしてしまう行動が、衝動。
衝動は、動いた後に論理がついてくるので、後悔したり矛盾したりしてしまう。

根拠のない衝動はしないように、根拠のある行動をしよう。