Binary Diary

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「猫に小判」をあげる責任 

どうもこたにんです。

猫に小判」っていうことわざがあるじゃないですか。

kotobank.jp

「貴重なものを与えても、本人にはその値うちがわからないこと」のたとえ。
このたとえって、ものすごく他責だなあ、って思ったのです。

猫が小判を受け取ったらどう思うか

猫の気持ちになる、というわけではないです。
「猫」と例えられている対象者と、「小判」と例えられているものを仮想します。
仮想した上で、その「猫」が「小判」を受け取ったら、どう思うのでしょうか。

それはただ単純に。
「なんで小判くれたんだろう???」
に尽きるんじゃないかなって思った、シミュレーションしてみたら。

だって小判のことよくわからないし、それがもたらす効果もわからないし。
そもそもこれを私にプレゼントしてくれた意図がわからない。

どういう思いで猫に小判をあげたのか

大事なのはこっち。
何を思って、猫に小判をあげたんでしょうか。

それは、自分と同じ考え・価値観を持っているという信頼からあげたのか。
価値はどうあれ、何かの契機で小判を押し付けたのか。
それとも小判というものを理解できるよう成長材料として渡したのか。

意図を伝えない以上、これらは全て憶測の域を出ないです。
ネガティブなのかポジティブなのかすらわからない。

それなのに、猫に小判をあげてこう言う。
「貴重なものを与えても、本人にはその値うちがわからないこと」
それはもう、他責極まりない。

猫に小判をあげる責任 

猫に小判をあげる以上、あげる人には目的・意図を説明する責任があります。
あげといて「価値がわからない」ではなく、それをわかるようにする責任です。

猫の立場になって考えること。
そもそも価値がわかっていないなら、それをティーチングするのかどうか。
小判ではなく砂金からはじめるのか、そのゴール設定も明確にしてあげる。
それが、猫に小判をあげてマネジメントする側に求められる責任です。

それを蔑ろにして他責にすることは、あってはならないです。
それは真摯さに欠けるし、自分と猫、どっちの成長にもつながらない。
強制的に価値に気づかせるとしても、やり方は考えてあげるべきです。

 

ことわざ、というメタファー文化に対して論理的に掘り下げるの楽しい。