どうもこたにんです。
「仕事のための仕事」してない?
「仕事のための仕事」してない?
— こたにん@エンジニア採用など (@Kotanin0) November 5, 2019
誰かに決裁を取るためのMTGのための資料作りとか
顧客分析のためのデータ抽出依頼のためのチケット作りとか
リリース承認のための案件レビューのためのテストとか
自分の作業時間は減るわ顧客への価値提供のスピードも鈍るわ
本当に喜んでもらいたいのは誰?
仕事、っていろいろあると思います。
その仕事はどれも、属している会社のために行うものです。
ただその仕事をふと振り返ったときに、それが本当に会社のためになっているのか?
もしかして「仕事のための仕事」になってしまっていないのか?
- 誰かに決裁を取るためのMTGのための資料作り
- 顧客分析のためのデータ抽出依頼のためのチケット作り
- リリース承認のための案件レビューのためのテスト
こういった例って、すごくもったいない仕事だなあって、感じるんですね。
「仕事のための仕事」は時間がとてももったいない上に精神すり減るだけ
結局、仕事のための仕事って自分にとって何も生まないんですよ。
「誰かに決裁を取るためのMTGのための資料作り」を例にとって考えてみる。
決裁を得るためにMTGをするのは、数歩譲って納得するとする。
それでも、そのMTGのためにわざわざ丁寧に資料作り込む必要があるか?
決裁を取るのって、2個上くらいのレイヤーの人がたいていだと思うけど。
そのレイヤーの人が無知なため、優しく噛み砕いて説明をする必要がある?
結論、その決裁を得ることで何がどうなるかを理解してもらえればいいだけじゃない。
というかそもそもその決裁とやらが、事業スピードを遅らせているんじゃない?
と悶々つらつらと思うわけです。
決裁がはさまると事業スピードが遅くなる。
さらに謎の資料が必要なためその時間も取られる。
そしてその資料はその場限りで使い捨てられる一時的なもの。
時間がとてももったいない上に、精神すり減るだけ。
そんなんだったら、決裁なんて委譲してしまった方がいい。
会社として向いている方向が同じなのであれば、間違えない限り遠回りでもいい。
そしたら無駄な仕事も減るし、スピードも上がるんじゃないかしら。
脳死せず存在意義を見出したい
自分がなぜその仕事をしていて、それは何のために必要なのか。
仕事のモチベーションを保つために、作業の必要性は必須だと思う。
それを脳死で作業しているのであれば、極端に言うと自分である必要はない。
自分がその仕事をやる意味、存在する意義っていうのが必須だと思う。
仕事のための仕事、自分の今の仕事ふりかえってみて。