Binary Diary

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ルールを作るときのルール

どうもこたにんです。

ルールは必要なもの

「ルール」という言葉は、ご存知ですよね。

ルール(rule)とは規則規制慣例しきたりなどを意味する英語

ルール - Wikipedia

ルールとは、ある物事に対して、普遍的にそうであるべき、という規制線を引くことです。
ルールがある以上、ルールは守らなければいけないです。

スポーツの世界だと、ルールがあるから公平にゲームを行うことができます。
何をすれば1点、何をすればイエローカード、何をすれば試合終了。
それらが誰にでも明確で判断ができること、ルールがあることで成立します。

スポーツに限らず、国で生きる上での法律や、仕事をする上での規律。
そういったものも須らく、必要なものです。
ルールがあるからこそ、真っ当に過ごせるわけです。

ルールは破られるもの

ルールというものがある、というのは制限や規制が設けられるということです。
となるとおのずと、ルールを破るという行為が生まれてきます。
破るというのは、故意だろうとなかろうと、ルール外のことをしてしまうということ。

はからずも、ルールによって制限されていることから飛び出てしまうケース。
意図的に、ルールを逸脱した行為を行ってしまうケース。
心理状態やその場の状況によって、それは発生しうるものです。

ただ、ルールを破るということは、ルールを知っていることになる。
あるいは、それがルール内かどうか判断できる状況にあるということになる。
(ルールが認知されていなければ、破るという行為は存在しなくなるから)

ルールを破ってしまう状況というのは果たしてどういう状況なのか。

  • ルールそのものが間違っている場合
  • ルールを外れなければ目的が達成できない場合
  • ルールを破ることに快感を覚えてるただのアウトローな場合

上記のいずれかにグルーピングできる気がします。
最後の項目を除くと、要はルールに対して何か対立意見があるからこその破り行為。
ルールに対して懐疑的にならざるを得ない状況なのでしょう。

ルールを選ぶのか、自由を選ぶのか。

ルールとは、自由と表裏一体です。
ルールがあると自由ではなくなるし、自由であればルールは無視されます。
この2者は適材適所、トレードオフ

ある程度ルールが必要な場面ももちろんあります。
国の法律しかり、スポーツしかり。
全てがフェアになるためには明確な線引が必要な場面はもちろんある。

ただ、ルールが行き過ぎて自由が奪われすぎるとなるとまた違ってくる。
ある程度は主体的に能動的に動こうとした場合、ルールが柵になる場合もある。
適したフレームでのルールというのが大事。

目的のないルールはいらない

破られようと守られようと、ルールには存在意義があります。
両者フェアに試合をすすめるため、国民の三大義務を遂行するため。
仕事を円滑に行い会社に貢献するため、間違った成長をしないように学生生活を送るため。
それぞれ異なる目的だろうと、何か大切なことのためにルールがあるわけです。

しかしふと一歩引いてみると、それらのルールが目的を持っていないときがあります。
たとえばどこかのコミュニティで、こんなルールがあったとします。

「髪を染めてはいけない」

すごくありそうなルールです。
このルールがどんな目的を持っているのか、を理解できますか?

「コミュニティ内の風紀が乱れるから」とか言われるかもしれません。
それでは納得できないです、風紀が乱れるから何が起こるのか?が明言されてません。
そもそも髪色が違うことで風紀が乱れたファクトはどこにあるのか。
ある日突然黒船で金髪ペリーが来航して国が乱れたくらいのファクトはあるのか。
それは明らかなる尺度の違いというかバイアスかかりすぎ。

「風紀が乱れて仕事の能率が下がった結果として会社の売上に影響するから」とか?
何を言っているんだ、それは染める人の問題ではなく周囲の問題。
髪色を諸悪の根源にするのではなく、それを見るだけで能率が下がる人間に問題がある。
それだったら「髪色に対して過敏に反応してはいけない」ってルールにすればいい。
そんなことひとつで能率が下がるような人間や空間にこそ問題がある。
これは真っ当な問題のすり替え。

「周囲との調和がなくなるから」みたいな、浅はかな理由もありえそう。
これはもう悪あがきにしか聞こえない、髪色で調和するのは自然界の動物だけでいい。
日本人特有の言い訳、マジョリティが暗黙的に正義になる、弱い考え方です。
じゃあ全員が髪染めたら、調和を乱すのは髪を染めてない人になりますね。
そしたら何、「髪を染めなければいけない」というルールでも作るの?

こうやって楯突くだけで、髪染めルールに目的がないことが丸わかりです。
ルールはルール以前に、目的とファクトが整ってないと、ルールとして成立しない。
なにかの目的達成のために、過去失敗したファクトをもとに、ルールを作る。
そうしなければ、ルールというものが存在する意味はない。
目的のないルールはいらない。

ルールを作るときは目的とファクトベースに最小限のリスクヘッジを添えて

つらつら話しましたが、ルールというのは結果として必要なものだと思います。
ただ作るのではなく目的を明確にして作ること、説明責任というやつです。
それに加えて、過去事例などのファクトを元に、明確なファウルラインを決めることが大事。

さらには、過去事例がなくても、リスクたり得る懸念に対する予防線も必要。
ただそこは過剰にしすぎず最小限にしておくべきかなと思う。
そうしなければ自由がなさすぎて何一つ面白くない。
ある程度の性善説に頼りつつも、最悪のリスクヘッジだけはしておくということ。

これが、ルールを作るときのルール。