Binary Diary

so beautiful beautifulさ

「記録より記憶」ではなく「記録から記憶」

どうもこたにんです。

「記録より記憶」

「記録より記憶」ってあるじゃないですか。
すぐれたスポーツ選手に贈られる言葉として使われがちな。
これって、なんだかもどかしいな、って思うんです。

この言葉を贈られる人って、それはもちろん記録としてもすごいことを成し遂げているはずです。
868本ホームランを打った人でも、リチウムイオン電池を生んだ人でもいい。
記録としてとてもすごいのです。

ただ、その人自身を賞賛するときに、先の言葉が使われます。
それを成し遂げたその人のことを誰もが想起できる、記憶として。
記憶に残るような功績、だからすごいと。

んーーー。 

 

 

記録=揮発性メモリ

正直、記憶などというものは揮発性メモリ。
語り続けられなければ記憶として紡がれていくことはなくなります。
そんなか細いものに委ねていいのだろうか。

たとえば、アインシュタインさん。
誰もが知ってると言っても過言ではない、言わずと知れた有名物理学者。
この人、記憶にはないじゃん。
記憶にないというと語弊を生むかもしれないんだけど。
文献という記録から、その人を認識して記憶するわけじゃん。

すなわち、記録がないと記憶には残らないわけです。
先ほどのホームラン王もノーベル化学賞も、ニュースというメディアの記録から記憶に残るわけです。
記録ありきの記憶なわけです。

ではなぜ「記録より記憶」というのが風情がある言葉なのか。
それは、記録には残らないけど強く記憶に残ることがあるから。

メディアに取り上げられることも文献に残ることもない、オフラインの出来事。
同僚の大きな発言、英断、そのような強烈なインパクトが脳みそに焼き付くような出来事。
それは明らかに「記録より記憶」です。
「あのときのあの人、すごかったよね」と思い出話になるようなこと。
たとえ揮発性メモリであったとしても、それは紡がれていきます。

「記録から記憶」

ただ、それでも。

せっかく何か行動を起こすのであれば、記録はしておいた方がいい。
その記録から記憶になる。
「記録より記憶」ではなく「記録から記憶」というマインドを持った方が、後世に語り継がれるのかもしれない。

 

それでは聴いてください、memoirs


[DJMAX RESPECT] Memoirs (BGA)