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「影響の輪」を体現し続けていた同僚のエンジニアリングマネージャーが会社を卒業した話

どうもこたにんです。

「影響の輪」を体現し続けていた同僚のエンジニアリングマネージャーが会社を卒業した話

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先日、同僚のエンジニアリングマネージャーが会社を卒業しました。

わたしから見ても社内で一番、エンジニアリングマネージャーをしていた彼。
4年半という期間、弊社のエンジニア組織の先頭に立ち続けてくれた彼。

彼にはとてもたくさんのことを教わり学びましたし、ちゃんと影響を受けました。
影響を受けたのはきっとわたしだけではないでしょう。

今回は、その方との思い出とかを勝手気ままに綴ります。

「エンジニアリングマネージャー」という道を示してくれた

わたしは現職に入社したときは、ひとりのプレイヤーだった。
とにかくプログラミングが本業のフロントエンドエンジニア。
ただ常に漠然と「いつかはマネジメントの道にいきたい」とは思っていた。

とあるときに、チームを持たせてもらえる機会が訪れた。
そこから「プレイングマネージャー」的な立ち振る舞いをしはじめた。
マネジメントという新しい仕事にわくわくしつつ忙しさを体感していた。

そんな経験を続けていたある頃から、彼と1on1する習慣がはじまった。
彼との1on1で、はじめて「エンジニアリングマネージャー」という言葉を聞いた。
その頃って、エンジニアリングマネージャーという言葉が今に比べて浸透しているわけでもないし、今よりももっと漠然とした呼称だったんだけど。
それでも、わたしが目指す働き方というのは「エンジニアリングマネージャー」そのものだということを知ることができた。
(もっというとVPoEとかそういったロールがあることまで知ることができた)

彼との1on1は、それだけでなく、もっとたくさんのことを学ぶことができた。
彼から直接的に教わることもあれば、絵に書いたように内省させてもらうことも多かった。
ひよっこエンジニアリングマネージャーのわたしの前で、エンジニアリングマネージャーとしての立ち居振る舞いを背中で示してくれていた。
ときに教科書通りに、ときに柔軟に個性を出して、どんな場面でも適応できるような振る舞い方。
見ている世界が違うというか、個の力がメインだったフロントエンドエンジニアの頃とは違い、集の力を最大限引き出すことに重きを置いているんだ、そうあるべきなんだ、ということを学んだ。

「影響の輪」の大切さを体現してくれた

彼からは多くのものごとを学んだんだが、一番印象に残っているのは「影響の輪」のはなし。

「影響の輪」とは、「自分が影響を与えることができる・干渉できる・変えることができる範囲」のこと。
自分が主体的に動くことでコントロールすることができる範囲のこと。
彼はしきりにこう言っていた。

「影響の輪を広げていこう!!」

やりたいことがあったとして、それを実現するにはまだまだ社内のエンジニアとしての影響力が足りない時期があった。

今では当たり前に社内エンジニアたちで活動しているエンジニアブログ。
これを実現するには、社内でいろんなステークホルダーと相対する必要があった。
彼は「絶対にエンジニアブログを立てる!」と宣言し、必要なステークホルダーをどんどん巻き込んでいき、コントローラブルな領域、すなわち影響の輪を広げていった。
その結果、エンジニアブログを公開させることができた上に、この取組で協力してもらえたステークホルダーたちとエンジニアの関係構築がなされ、以降の他の様々な取り組み(外部イベント、媒体掲載など)でもスピーディーに協力的に取り組みを推し進めることができる状況が作られた。

このエピソードは、彼が「影響の輪」を体現していた一例に過ぎない。
これ以外にも、もっと他にも影響の輪を広げていくような活動をしていた。
彼は常に「影響の輪」がいかに大切でいかに実用的なのか、それを体現し続けていた。

「アウトプット」の習慣を付けてくれた

わたしは今でこそ当たり前に、毎日ブログを書いたりTwitterを更新したりしている。
が、これらも元をたどると、彼からの助言があったからこその取り組み。

とある1on1のときに「こたにさんは何でTwitterやんないの?」的な会話があり。
次の1on1のときにはTwitterアカウントを用意して「Twitterはじめたよ」とアンサーした。

とあるときに「アドベントカレンダーやんないの?」的な会話があり。
アドベントカレンダーを書くための場所がなくてブログを開設した。

これらはいずれも、彼との雑談から生まれた行動、というわけではなく。
彼と1年近く取り組んでいた「弊社のエンジニア組織としてのブランディング活動」という取り組みの一環だった。

いくら社内エンジニアへの影響力を持ったとしても、それだけでは社外ブランディングにはならない。
社外に自社のことを知ってもらうには、とにかくアウトプットするしかない、と。
それが個人的なアウトプットだろうと組織的なアウトプットだろうと、どちらでもいい。
とにかくアウトプットすることで、次につながるきっかけが生まれうることを学んだ。

そのおかげで、外部媒体に掲載してもらったり、イベントに登壇したり、コミュニティに名を連ねたり、いろんな結果を出すことができた。

「怒られるまでやる」という行動力をもらった

「怒られるまでやる」という言い方だと語弊があるかもしれないけど。
要はどういうことかというと。

何かアクションしようとするときに、リスクを考えたりして足踏みするくらいなら、とりあえずやってみる。
やったときにどこかから怒られるようであればそのときに別プラン考えればいいし、怒られなければ別に問題ない。
何事もアクションしなければ課題は見つからないし、次に繋がらない、という行動力。

そんな、無邪気な行動力。
彼は無邪気にいろんな取り組みを実践してたなあ。
それに引っ張られてわたしも無邪気になることができたなあ。

「エモい」こと

彼は、一言でいうと「エモい」と思っている。
意識的なのか無意識的なのかはわからない(わたしから見ると無意識的に見える)けど。

彼とお仕事をしている際に出る、彼の何気ない一言。
彼にとっては何気ない一言でも、それが実はとてもエモーショナルで、心に刺さることがままある。
彼にとっては何気ない一言なので、彼はたいていそのことを覚えていない。
ただ、受け手側としては強烈に覚えていることが多いのである。

彼は無邪気かつ天然のエモーショナルなのである。

彼から放たれる天然のエモさ。
そこにふしぎな魅力とパワーを感じてしまって仕方がないのである。
これは、側で一緒にでいろんな仕事をしてきたわたしだけが感じていることではない。
彼の「影響の輪」の範囲内にいるほとんどすべての人が感じていることだと思う。

「最高に楽しかった」

そんな彼は「4年半は最高に楽しかった」と言って卒業していった。

シンプルな一言。
そこに込められた想い。
エモい彼を知っているからこそ感じるとても強くて大きな感情。

こちらこそ。
最高に楽しかった。

よく言われるけどほんとに、世間は狭いからいつかまた会うでしょう。
そのときまで、変わらず影響の輪を広げ続けていってください。

だいすき。