どうもこたにんです。
「抜き打ちテストのパラドックス」というパラドックスがあるんですよ
「抜き打ちテストのパラドックス」って、知ってますか?
「未来の予測できない時に起こる」けども「いつまでに起きるかという期限は決まっている」という事象は、後者の制限の存在によって、そもそも「予測できない時に起こる事象」と言えなくなるのではないか、というもの
どういうことでしょうか。
タイトルにもなっている「抜き打ちテスト」のお話で考えてみましょう。
ある教師が、学生たちの前で次のように予告した。
これを聞いたある学生は、以下の推論の結果「抜き打ちテストは不可能である」という結論に達した。
- まず、金曜日に抜き打ちテストがあると仮定する。すると、月曜日から木曜日まで抜き打ちテストがないことになるから、木曜日の夜の時点で、翌日(金曜日)が抜き打ちテストの日であると予測できてしまう。これでは抜き打ちとは言えないので、金曜日には抜き打ちテストを行うことができないということが分かる。
- 次に、木曜日に抜き打ちテストがあると仮定する。すると、月曜日から水曜日まで抜き打ちテストがないことになるから、水曜日の夜の時点で木曜日か金曜日のどちらかの日に抜き打ちテストがあることが予測できるが、1. により金曜日には抜き打ちテストがないことが既に分かっているので、翌日(木曜日)が抜き打ちテストの日であると予測できてしまう。よって、木曜日にも抜き打ちテストを行うことができないということが分かる。
- 以下同様に推論していくと、水曜日、火曜日、月曜日にも抜き打ちテストを行うことができないということが分かる。したがって、「先生はいずれの日にも抜き打ちテストを行うことができない」という結論になる。
しかし翌週、テストは水曜日に行われた。上記の推論にもかかわらず、学生は全くテストの日を予測できなかった。
すべては教師の予告通りになった。
というわけです。
もう少しわかりやすく理解したい方のために、サマリ版。
「1週間以内に抜き打ちテストを行う」と宣言されたとします。
木曜までテストが行われなかったら、金曜にテストを行うことは確定です。
テストが確定している、すなわち抜き打ちじゃなくなってしまいます。
ということは「抜き打ちテスト」の定義に反するので、金曜にテストは行われません。
という考え方を木曜日、水曜日、と展開していくと、どの曜日にも同じことが言えるため、「抜き打ちテスト」というテストを実施することはできない、という結論になります。
でも実際には、抜き打ちテストは行われたし、行われる曜日は予測できませんでした。
といった具合です。
以下の一言で同様のパラドックスを引き起こすことができます。
「明日抜き打ちテストを行う」
「抜き打ちテストは予測できない日に起こる」「日付が決まっているので予測できる」という矛盾が発生します。
でも実際には、抜き打ちテストが実施されたときに初めて、抜き打ちテストだったことを自覚するわけです。
パラドックスを抜け出すには「予測」をしないこと
このパラドックスの肝となっていること、それは「予測」をしているという点です。
「抜き打ちテストなんだから日付が確定するときには起こらない」というところから、予測できる日を見つけていくわけです。
このパラドックスでは、その結果として抜き打ちテストが行われない、と予測しました。
予測した結果、その予測どおりにいくことはなかった、というわけです。
なぜ予測してしまったのか?
それは、教師の発言を盲信してしまったからです。
「抜き打ちテストを行う」という言葉を盲信した結果、パラドキシカルな状況に陥った後に、間違った方向に予測をしてしまったわけです。
だからといって盲信するな信じるなということではなく。
信じた上で「予測」をしないことがパラドックスを抜け出す方法というわけです。
特にこのパラドックスでは「1つの因果」に囚われています。
1つの因果とは、教師の一言から「抜き打ちテストは行われない」という結果を1つに決めてしまって予測した、ということです。
結果を1つしか予測しなかった結果、裏切られるような結末を迎えてしまったように感じるだけです。
なのでこのパラドックスを抜け出すには、予測しないというよりも、複数の結果を予測しておくこと。
「どの曜日でも抜き打ちテストは起こり得る」と全網羅で予測しておくことです。
そうすることで、抜き打ちテストへの対応を事前にできるわけです。
視野を広げて俯瞰する、そうすることでパラドックスから抜け出せます。
全網羅で予測、していこ。