Binary Diary

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買い物は早くできた方がいい?

どうもこたにんです。

 

買い物は早くできた方がいい?

出張帰りにふと立ち寄ったショップで手土産を買い、帰宅してそれを渡したときの会話。

私「いろんな種類あったからこれに決めるのに10秒くらいかけた」

妻「あなたにしてはかなり吟味してくれたね」

さすが。

 

ふと思ったのです。

買い物行ったときに、10秒で買うものを決断するのは時間で見ると早い方です。

その早さを見て「ちゃんと選んだ?」「じっくり考えてなくない?」と思うのか。

「選ぶ(吟味)」「考える(熟考)」ということばに対して、どれくらいの時間をかけるイメージを持っているのか。

 

仕事のシーンに置き換えて考えてみましょう。

上司に何かの相談をしたときに、10秒で返事が来たとします。

そのわずか10秒での返事に対して「相談したのにあっさり返された」「真剣に取り合ってくれない」「適当にあしらわれた」と思うのか。

時間をかけて返事をもらったら「じっくり考えてくれた」「真剣に向き合ってくれた」「一緒に悩んでくれた」と思うのか。

 

時間をかけてもかけなくても同じ答えが返ってくるとしたら時間をかけない方が圧倒的に良いです、それだけ時間を無駄にしているということになるので。

ただし、 時間をかけるという行為によって信頼度という感覚が乗っているように感じています。

捉え方を変えると「わざと時間をかけて回答することで信頼度が増す」ということです。

これは全く非合理的なことです。

 

なんだか喉の調子が悪くて病院に行きました。

診察室に入って先生に口の中を見てもらって、喉を見るやいなや一言「風邪だね」と言われました。

そんな一瞬で風邪って決めつけられても...と思いました。

 

なんだか喉の調子が悪くて病院に行きました。

診察室に入って先生に口の中を見てもらって、喉を見ながら「う〜ん、なるほど〜」と言葉を漏らしながら時間をかけて喉を見た後に一言「風邪だね」と言われました。

しっかり見てくれて風邪だとハッキリしてよかった...と思いました。

 

この2つのシチュエーションの違いで感じた違いこそが「わざと時間をかけて回答することで信頼度が増す」ということです。

とても非合理なのでこの感覚を理解できない人もいるかもしれません。

しかしこれが人間というものです。

非合理的な時間の使い方に信頼を感じるという、なんとも非合理。

時間をかけて悩み考えているというプロセスに価値を感じるわけです、結果は同じなのに。

 

この感覚が人間には存在する、ということを知っておくといいかもしれません。

なんでもかんでも時間をかければいいというわけではないですが、時間をかけることで付加価値が生まれることもある。