Binary Diary

誰かに会ったり 話しかけたり 街行く人に優しくね

なぜ登壇練習をしない

どうもこたにんです。

 

思うんですよね。

 

いろんな講演を聞いていると、内容の外側を気にしてしまうシーンがあるじゃないですか。

「時間オーバーしてる」「言い淀んでる」「余談長い」「ゆらゆらしてる」など。

内容を聞きたいところ、どうしてもその外側にある所作などが気になってしまうことあるじゃないですか。

 

なんでなんですかね。

練習するだけで回避できることなのに。

 

「そんなこと気にしてるのは講演に対して集中してないから」だと言いたくなるかもしれませんが、「集中できなくなるくらいの完成度なのかもね」と言い返されるかもしれません。

視聴者(講演を聞いている人)が、登壇者に対する姿勢として内容を聞きたい姿勢で聞くのはそれは当然。

ただ、登壇者の姿勢として視聴者に十分なコンテンツを提供することも当然の姿勢だと思うんですよね。

イベントの特性やテーマなども影響するとは思いますが、視聴者はたいてい「誰が話してるか」よりも「何を話してるか」だと思うんですよね。

 

「なんとなく話すこと決まってスライドもぱぱっと作ったからこれで当日思ったことを話せばいいや」というのは中身に責任がなさすぎる

あなた自身の声を聞きたいのではなく、あなたが話すその内容を聞きたいのである。

その話が聞けるのがあなたの講演なのであなたに興味があるのである。

あなたに興味がないとは言ってない、あなたのスキルや役割や経験から生み出されるその内容に興味があるのである。

 

それに応えるために、内容に対して練習することは当然なんじゃないですかね。

練習して中身の練度を高めて、それを視聴者に届ける。

40分の講演なら40分で話す練習を何度も行う。

あなたの話す内容が、あなたの内側から、あなたの情熱で、あなたの言葉として出てくる。

その状態まで持っていければ、視聴者は自然に集中して内容の外側など気にならず講演に聞き入ることができる。

 

登壇はカラオケじゃなくてライブなんですよ。

「この曲を歌いたい」と自分の好きな曲を選んで、いざ曲がはじまって流れる音と表示される歌詞に合わせて「あ〜ここのメロディわかんない」とか言って適当に終わらせるカラオケ。

「この曲を届けたい」と参加者の盛り上がりを想像して、いざ曲がはじまって流れる音に合わせて何度も練習して自分ごとにした歌詞とメロディで歌声と気持ちを届けるライブ。

カラオケボックスに集まるようなイベントならカラオケでいいですが、講演ってほとんどそうではなくライブだと思います。

届けたい曲を音楽を歌詞を届けるために練習もリハーサルも重ねる。

そうやって視聴者の聞き入る最高のライブにするのです。

 

この認識とマインドの甘さに言いたいことは「なぜ登壇練習をしない」ということで、これの解決方法を一言で表現すると「登壇練習はするべき」ということ。

私自身も常日頃意識していることであるが改めて意識を強めるために。