どうもこたにんです。
#いいねの数だけ自己紹介 というものを目にした
Twitterでこういうものが流れてきました。
#いいねの数だけ自己紹介する というハッシュタグとこの画像のツイート。
そこに申し訳程度に添えられる控えめな一言。
「来ないだろうけど」
「よかったらいいねしてね」
「需要ないけど」
いいねの数が伸びないと自己紹介ができないという縛りプレイ。
自分を知ってほしいという供給と、その人のことを知りたいという需要のバランス。
これが如実に見え隠れする、素敵なハッシュタグだなって思う。
ソーシャルなネットワーキングサービスたるや。
バトンを思い出すなあ
一昔前のウェブログやmixi、魔法のiらんど、前略などの初期SNS時代を経験した方には伝わるだろうけど。
「バトン」というものがありましたね。
こんなやつ。
【タイプ★バトン】 タイプ教えて-(-゜3゚)ノ 素直に答えうよね(笑) ▼好きなタイプは? ▼嫌いなタイプは? ▼異性に求めることは? ▼髪型は? ▼髪の色は? ▼年上or年下? ▼身長は高いor低い? ▼理想の身長は? ▼細マッチョorゴリマッチョ? ▼束縛されたい? ▼束縛する? ▼リードされたい? ▼浮気は許せる派? ▼遠距離できる? ▼サプライズとかすき? ▼賢い方がいい? ▼やんちゃor大人? ▼SorM? ▼このバトン誰からきた? ▼その人の印象は? 終わりだよ~(*^-')b お疲れ様っ(-゜3゚)ノ 次に回す人を5人!!
先のハッシュタグは、このSNS黎明期におけるバトンを彷彿とさせます。
バトンとは、SNSで広まるチェーンメールめいたものでした。
誰かが答えているバトンを見たり指名されたりしたら、次にその人が答える。
そのように質問集をバトンのようにリレーしていくものでした。
当時のSNSはかなりクローズドな世界でした。
繋がっているのもほとんどがリア友、かろうじてコミュニティと呼ばれるものはあったけど、今ほどの気軽さはなく。
そんな中で流行したバトン、それは承認欲求というよりも自己顕示欲を満たすためのツールでした。
数多ある質問に答えて、趣味嗜好を一人称目線で明文化し、自分の存在というものを自分でかたちづくるものでした。
当時のSNSは双方向ではなかったため、自分から一方的に発信することが前提だった。
なので、リア友に読んでもらいたいために恥ずかしげもなく答えるのです。
わりと攻めの発信だと思う。
いいねがないと自己紹介しない、というのはとても保守的
一方、今回のハッシュタグはというと、いいねが付かなければ質問には答えません。
バトン文化を経た人間から見るとそれはもう縛りプレイ以外のなにものでもなく。
ただそれらは、SNSの持つ特性が変わったからに尽きると思った。
先の言葉で言うところの「双方向」というサービスになっているからである。
TwitterやFacebook、Instagramなどは、リアクションやレスポンスがひとつの大きな価値を持っている。
その価値を求める欲、承認欲求がこのハッシュタグを生んでいるのである。
「自分のことを知りたい人がいてほしい」というリアクションを求めるのである。
言い換えると「自分のことを話したいけど知りたい人がどれくらいいるかを事前にわかっておきたい」という。
承認欲求とはほど遠い、なんとも保守的で自堕落な思想が生んだ自己崩壊である。
「必要な人に確実に届ける」という言い換え方もできなくはないが、そのような言い換えは今回においては勝負にならない。
昔のSNSは、見る人は確定している場合がとても多かった。
今ほどWebが浸透しているわけでもないので、何かあっても傷が浅くて済むというか。
読み手はたいてい知り合いだし、リアクションはリアルで会ったときにもらうし。
ので、意識的に保守的にならずとも、攻めた投稿ができていたのである。
昨今の「双方向」が当たり前になったSNSにおいては、保守的な行動が多いのである。
誰が見ているかわからない、誰に何を言われるかわからない、何を思うかわからない。
そのわからないという不確実性を解消するために、保守的なハッシュタグをつける。
さらに予防線を張ったような一言を添えるのである。
「需要ないけど」とかね。
その結果が、#いいねの数だけ自己紹介 という一言に凝縮される。
自己紹介という、保守的な承認欲求を持っている状態。
#いいねなくても自己紹介 くらいしちゃえばいい
周りの顔色を気にして、巧言令色に振る舞うことが正しい場合もあるかも知れない。
こと現代のSNSにおいてはなおさら。
でも、「いいね欲しい」が行動原理になる承認欲求は、すごく自分のためにならない。
一番いいのは、自分の行動の結果にいいねが付くこと。
順序が逆。
なのでここはいっちょ、ハッシュタグを変えてみたら世界が変わる気がする。
#いいねなくても自己紹介 にして、好きなだけ発信してしまえばいい。
誰が読むか気にすることもなく、ただただ自分を発信しちゃえばいい。
圧倒的で感動的な理想的超えて完璧な、運命的で冒険的な時に叙情的な未来バイバイ。