どうもこたにんです。
「砂山のパラドックス」というパラドックスがあるんですよ
「砂山のパラドックス」って、知ってますか?
砂山から砂粒を取り去っても依然として砂山のままだが、それから何度も取り続けて、最終的に一粒だけが残ったとき、その一粒だけを指して「これは砂山である」と言えるのか、という問題である。
すごくシンプルな、帰納的矛盾です。
すごくシンプルですが、パラドックスとして成り立っています。
このパラドックスにはいくつかバリエーションがあります。
「ハゲ頭のパラドックス」や「ろばのパラドックス」です。
「髪の毛が一本もない人はハゲである」(前提1)
「ハゲの人に髪の毛を一本足してもハゲである」(前提2)
ここで前提1に前提2を繰り返し適用していく(つまりツルッパゲの人に髪の毛を一本ずつ足していく)。そして次の結論を得る。「よって全ての人はハゲである」
ろばの背に荷物として藁を積み上げていることを想定する。このとき、
「藁を追加しなければ、ろばの背骨が折れることはない」(前提1)
「藁を1本追加するだけなら、ろばの背骨が折れることはない」(前提2)
「藁を1本追加することを繰り返すことで、ろばの背にはいくらでも藁を積むことができる」(結論)
いずれも、前提は違えど、パラドックスとしての種類は同じです。
パラドックスを抜け出すには「定義」をすること
ただこのパラドックスは、言ってしまえば「言葉遊び」の類です。
要は「砂山」というものの定義が曖昧であるがゆえに起こる矛盾なわけです。
これは、定義の問題です。
「砂山とは砂粒が1,000粒以上あること」という定義さえしてしまえば矛盾が起こることはありません。
この定義がないからこそ、「砂山」という曖昧なものを認め続けることになるわけです。
定義さえしてしまえば何も怖いことはありません。
「1,000粒は砂山なのに、999粒は砂山じゃないの?ほとんど同じじゃん」
と言われましても「砂山とは砂粒が1,000粒以上あること」と定義していますので。。
と、一刀両断できちゃうわけです。
これはパラドックスだけでなく、他に類するような課題があったときも同様です。
定義が曖昧で議論が変な方向にいってしまっているとか、定義が曖昧で仕様が定まらないとか。
エンジニア的に言えば「閾値を定める」ということをしておけば無問題。
定義、していこ。