どうもこたにんです。
平成最後の記事を書く
「絶対に便乗しないぞ」と思ってたけど便乗するのが世の中の摂理だよね。
というわけで流行語には選ばれなかったが確実流行語である「平成最後の」をふんだんに取り扱った記事をしたためます。
思い返せば平成最初の
思い返せばね、わたし平成元年生まれなのですよね。
だから「平成最初の」年代の生まれなのですよね、89年勢というやつです。
それで何があったかというと、特にそんな大きなことはなく。
新卒で入社した会社で「平成生まれ!?わっかーーー」とリアクションされるくらい。
なので特段強く元号を意識するわけでもなく。
昭和から平成になったときのことを知らないから、元号の思い入れもなく。
ただただ「元年」って書くの、数字じゃないからめんどくさいなあ。
って思ってたくらい。
元号だからこその相対的な表現がややこしさを生んじゃいがち
よく耳にする会話で。
「今って平成何年?」
とか言うじゃないですか。
西暦ならまあだいたいわかるじゃん、2019年なう。
それをじゃあ元号にしましょう、となった途端、あれ今何年だっけ?ってなる。
それは、感覚的に、煩雑。
西暦は2000年以上続いてる今、わりと絶対的な数列として認識できてる。
だし、多くの出来事やキャンペーンなどは、西暦で表現されるし。
もっというと世界標準だと西暦だし。
なんならエンジニアは YYYYMMDD の考え方なのよね。
だからこそ、元号になった途端に、その翻訳コストがややこしい。
でもこれは日本独自の日本だからこその素敵な文化
歴史的背景に詳しくないし、あまり調べるつもりもないから思うままに書くけど。
日本だからこその文化なので、そこは大事にしていくのは良いことだと思う。
漢字の組み合わせ、何の歴史書・文学を引用するのか。
それらの漢字にどういった意味合いを持たせ、日本をどう印象づけるのか。
様々な思惑や背景を散りばめる、良い意味で曖昧なもの。
漢字というのがそもそも、お国柄、意味を見いだせる素敵さがあるし。
そういった意味で、素敵な文化だなあとは思ってる。
というわけでいざ新元号
令和で、あります。
あるがままに、なるべきようになる。
といったところでお開き。
「平成最後の」をふんだんに取り扱った記事をしたためます。
つっといて、1回も使ってなかったわ。