Binary Diary

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最後の1枚のスライドが「ご静聴ありがとうございました」である理由

どうもこたにんです。

 

「ご静聴ありがとうございました」の存在意義

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スライド資料の末尾にこういうの書きがちじゃないですか。
これってなんのためにあるんでしょうか。

これは、発表 ・プレゼンを聞いてくれた聴衆に対しての感謝の意の現れなのですかね。
それであれば口頭で謝辞を述べるはずなので、改めて最後に書く必要はないかな。
このスライド1枚で伝えたいことって、感謝なの?
それって、発表内容とつながりのある意味のあるものなの?

「EOF」の存在意義

ご静聴うんぬんと同じノリで、EOFと記載して締める場合もありますね。
これは先程と違って、何かの情報共有で回覧するスライドとかにありがちな気がする。

あれは、ご静聴よりは存在意義がハッキリはしている気がする。
ここで当該資料は終わりです、これ以上めくっても何もありません。
あったとしたら謎のAppendixや個人メモです。

という意味を込めたEOFなんじゃないかなと。

最後の1枚のスライドは目にする時間が長い

ここでの議論はこれになります。
ご静聴やEOFが悪だと言い切って終わるわけではなく、悪なんだけど。
そこにあるべき最後の1枚のスライドは何にするべきか、という話。

最後のスライドって、写っている時間が他と比べて長いです。
そのまま質疑応答に移るパターンがあるので。

たとえばなにかの発表やプレゼンだった場合。
ひとつは、まとめスライドにして終わる、というのがとてもいい形ですね。
発表というのは聴き込んでしまう場合もままあります。
そうなったときに、最後の1枚がまとめのスライドであることが強力な意味を持ちます。
投影上、まとめが写っていることで発表の結論が伝わる、という利点。

他にも、最後のスライドに追加情報などのためのQRコードを載せるという手もあります。
これも質問時間などを利用した技ですが、QRを読み取ってもらうことができます。

このように、最後の1枚のスライドって、利用価値の高いものなのです。
ここにご静聴やEOFを置く意味は、全くありません。

よくわからないしきたりや何のためかわからないお作法に脳死で従うのは違う。
1枚のスライドに意味を持たせて魂込めていこう。

以上となります。
ご静聴ありがとうございました。