どうもこたにんです。
情報共有という「ノイズ」
「報連相」とかいうフレームに乗せて情報共有することってあると思います。
その情報共有、ちょっと待って。
必要な人に、必要な情報を、共有できていますか?
その情報共有、ノイズになっていませんか?
情報共有すること、が絶対正義ではない。
「必要な」情報共有でないと、受け取り手には余計なものだったりする。
そこの見極めって大事だね、という話。
「誰に」情報共有するのか
情報の共有は誰宛にするものなのか、上長なのかメンバーなのか。
上長へのボトムアップであれば、どこまでの粒度の情報が必要なのか。
上長は、さらにその上長に情報を伝えるのか。
逆にメンバーへのトップダウンであれば、情報はわかりやすく分解できているのか。
どこの誰宛なのかによって、情報を適切に翻訳したりふるいにかけたりする必要があります。
そうすることで、その人に伝わりやすいものとなります。
そうしなければ、意図していない伝わり方をしたり、余剰な情報を与えてしまいます。
そのノイズによって誤解を招かねない。
その情報をもとに「何を」してほしいのか
共有した情報をもとに、何をして欲しいのかを明確にします。
単なる共有なのか、アクションを求めるのか、どんなアクションなのかを明確にします。
そうしなければ、受け取り手はその情報の意味がわかりません。
やらなければいけないことをはっきりと伝えることで、情報はより上質なものとなります。
何をして欲しいのかを伝え損ねると、もらった情報はただのノイズです。
よりノイズの少ない情報共有を
「誰に」「何を」情報共有するのかを意識する。
そうすることでより「ノイズ」の少ない「必要な」情報共有ができる。
人によっては、情報共有すら不要な例外パターンもあるけどね。