Binary Diary

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ごく自然な文法を喋るAIは人間らしいのか

どうもこたにんです。

人間らしさ、AIらしさ

最近のAI事情を眺めていると、とても思考が捗りますね。

今回も。

ごく自然な文法を喋るAIは人間らしいのか

最近出てきている件のやつは、AIなのにとても人間らしい振る舞いをします。

ごく自然な文法、違和感のない表現、人間と遜色ない振る舞い。

文字だけの世界に不気味の谷はないので、もはや中にリアルな人間が居てもおかしくないレベルの振る舞いをします。

 

ごく自然な文法を喋っていると、人間らしいと感じます。

それがAIが生み出した文章か、人間が書いた文章か、区別がつかない。

区別がつかないというのは、人間である、というグループに属してしまう。

AIが人間らしいというわけです。

外国語をカタコトに喋る人間は人間らしいのか

では、外国語をカタコトに喋る人間がいたとします。

付け焼き刃の言語知識で、海外の人とチャットしているようすをイメージして。

文法が正しくなく、発言も支離滅裂に見えます。

 

ただし人はそれを、カタコトの人間だなと思います。

文法の正しさがなくても、それは人間なんだなと感じるわけです。

文法の正しさに人間らしさはない

文法が正くても正しくなくても、人間だと感じてしまいます。

キレイな文章を書くわけでもなく、自然な表現をするわけでもないです。

アウトプットする文章の内容に人間らしさを感じる部分はないです。

ここでわたしたちが感じる「人間らしさ」って、何なんでしょう。

 

人が喋っているとわかっているかわかっていないか、なだけ。

「この文字の向こう側に人間がいる」と思っているかどうか、なだけ。

AIが生成した文章だとしても「実はこのAIは人力で人間が回答してました〜」ってネタバレされたら、途端に人間らしさを感じるというわけです。

AIらしさというのはあるのか

逆に、AIらしさ、というのはあるのでしょうか。

わかんないや。

人間だから。