どうもこたにんです。
エンジニアリングが正義なのか
生活していてよく思う、というか遭遇します。
「これ自動化されてたら楽なんだろうけどなあ〜」みたいなこと。
- 社内の書類フローでどうしても印刷しなきゃいけないとき
- 画面で何度も同じ操作をしなければいけないとき
- セルフレジで買い物かごから袋にものを移し替えているとき
なんだか、IT化、エンジニアリングのにおいが随所にしてくるわけです。
しかしこういったところにIT、テクノロジーを用いることがどれだけ正義なのか。
これを具現化したときに、どういう効果を生むのだろうか。
誰目線でその効果を考えるかによって、IT化が正義かどうかは大きく変わります。
それは今現代で取り沙汰されている「AIに仕事を奪われる」問題と似ています。
単調作業や、あまり頭を使わない仕事、というのは機械にとって変わられる。
つまりそれは、もっと人間が人間らしい仕事に注力できるということ。
お金を預ける引き出すなどという行為は、ATMに任せてしまえばいいのです。
それよりも、ローンを組むために現状把握や方策、提案などをしていくべきです。
(シンギュラリティ近辺までいくと、この行為すら人間の領域じゃなくなるかもだが)
それでもただ。
書類を印刷して回すとか、同じボタンをぽちり続けるとか。
そういった脳死なものこそは、ITにお任せしてもいいんじゃないかな。
「じゃあ今まで私がしてきた仕事をテクノロジーに奪われたらどうしたらいいの?」
という感覚、わからなくもない。
がそれはかなり保守的というか、何を守りたいのか。
と、心の中で思わないでもないわけではないとは言えない。
もとい。
どういう作業をどこまでエンジニアリングするか。
それによって失われる作業、そこから得られる時間。
その時間で今までの作業以上の価値をどう生み出していくか。
ハオに苦言を呈されるような人はきっと、時間が余ることを恐れているのでしょう。
相対的に見て自分の価値が下がることになりますからね。
今、IT化が進む中で本当に必要なものは、空いた時間で価値を生み出す着想力かもしれない。