Binary Diary

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Career 20 years in the future

どうもこたにんです。

Career 20 years in the future

仕事で「20年後のキャリアプランを問われることがあった。

とにかく単純に、めちゃくちゃ難しい質問だなと感じて、考え込んだ。

そのときに出た答えはこれ。

「20年後って、おそらくシンギュラリティが起こったか起こる直前かくらいだと思うんです。今では想像できない時代になってると思うんです。今から20年前に生成系AIがこんなに活用される時代がきているなんて想像できなかったように。なので今でいうところの生成系AIをどうビジネスやサービスに活かすのか考えるおじさんみたいな。20年後のシンギュラリティの世界でどういうツールやサービスが発明されているかはわからないけど、そのときにトレンドになっている技術やサービスを活用できるおじさん、になっていたいですね。」

そのとき考えた結果として吐き出されたキャリアプランがこれである。

「トレンドをおさえて活用できるおじさん」である。

そのときは何か答えるしかなくてこの答えに辿り着いた(というか思いついたまま喋ったに近い)のだが。

この答えは自分として納得感があるのか、再考したら全く異なる結論が出るのか。

改めて自問自答してみることにする。

 

西暦2044年、54歳のわたし。

イメージできなさすぎるので、一旦、20年前と現在を比べてみることにする。

 

西暦2004年、14歳のわたし。

IT的な記憶でいうと、ガラケーが折り畳まれることが当たり前になってカメラが付いてることがステータスな頃。

MP3プレイヤーなるものが出始めてきていて、iPodが流行りそうな頃。

検索の大手はYahoo, goo, MSNで、メールアドレスの覇権はhotmail.com、Googleはまだ日本では浸透していない頃。

YouTubeなんてないし、ゲーム機はソフトを買ってディスクを入れて遊ぶ頃。

WindowsはXPで、メモリは256MBあれば上等。

私個人は、自作ホームページ、BBS、ブログといったものを触れていた頃。

 

当時の私は「ワイヤレス」という言葉にすごく革新性を持っていたことを覚えている。

歌番組で歌手がワイヤレスマイクを使っていたのを見て、無線通信というのが未来では当たり前になると思っていたことを覚えている。

未来では、PCとケーブルをつなぐなんてことはしなくなると思っていた。

モニターにケーブルを繋ぐことはなくなると思っていた。

 

当時の私に、今のこの時代を想像できただろうか。

電子機器は当たり前にワイヤレスで、なんなら家具家電がインターネットにつながっている。

WiFibluetoothなるものができて、どんなものも通信でつながる。

メモリは16GBもあるし、Windows XPなんてとっくのとうにサポートが切れている。

ゲームソフトは物理でなくオンラインでダウンロードするだけで遊べてしまう。

iPodと携帯電話を持つ必要はなくスマホひとつでいい、財布すらスマホになっている。

インターネットで調べ物をするときにYahooは使わないし、対話型のAIがチャットでいろいろなことを教えてくれる。

 

これが20年のITの進化。

答え合わせすらできないほど、何ひとつ想像できない世界に来ている。

この大きなギャップを、今と20年後で想像しなければならない。

技術の進化は今よりも加速度的に進むし、AIはAGIに成り代わってしまう。

本当に、シンギュラリティは起こってしまうし、起こり終わっている可能性が高い。

 

そのときに私は、どういう人材になっていたいのだろうか。

 

IT、技術という世界で長く過ごしてきたので、これから先もこの世界で過ごしていたいという思いは強い。

他の業界や世界にいくつもりは今はないし、今なければ20年後もないんだろうなと思う。

ただし、この世界の20年後は全く想像できない。

想像できないので、具体的に何をしていたいというのを想像できない。

 

なので、どういう未来であろうと「適応」できる人材でありたいと思う。

どういう技術であっても、どういう世界であっても、そのときの世界に適応していたい。

適応できる自分が、それを用いて事業をおこしているのか、サービス開発しているのか、最低限度の生活を営んでいるのか、それはどうでもよい。

(できれば豊かな生活はしていたい)

ただ、そのときの世界でなるべく利便を享受できるように、環境を受け入れてそのときの何かしらと共存できるように、心身ともに適応できる人材でありたい。

 

想像できない20年後を想像する必要はない。

何を想像したってしなくたって20年後は訪れるし、そのときに確実に何かはあるし、そこに私は居る。

「適応」できればよい。

これが私のキャリアプラン、適応。

 

結論が少し変わった。

「適応」という意味であれば、冒頭の質問のときに答えた「トレンドをおさえて活用できるおじさん」も同じと言える。

ただ、おじさんの方はより具体的で、仕事人としてのキャリアプランとして明確である。

適応の方はかなり抽象的だし、そのときの自分の状況は二の次である。

その点で言うとおじさんの方がよりキャリアプランっぽくて良い。

 

結局今回の思考は、質問に答えたときとほぼ同じ思考で、それをより細かく言語化したに過ぎなかった。