どうもこたにんです。
「うりゃあああ!!!」(興奮)
突然何叫んでるんだ、って思いましたよね。
しかも何興奮してるんだ、って思いましたよね。
でもこれって、ただの文字でしかないはずなんですよ。
それなのに、叫んだとか内心とかがわかってしまうんですよ。
文字に乗っている情報が潜在的に多い
文字侮るなかれ、文字に潜む情報というのは多いのです。
先ほどの叫びで言うところの、鉤括弧と丸括弧のことです。
日本語・国語を学んたわれわれにとっては、鉤括弧をつけるとそれは言葉を発していると受け取ります。
「音を発する、という意味をこの文字に付加して脳内変換しているのです」
ね、これすらも声に出して言ってるように見えるでしょ。
また丸括弧も同様な理由で、そこには表には見えない感情が入っていると感じます。
(ただし補足的な使い方をしていないときに限る)
ね、上の丸括弧は感情が入ってないように見えるでしょ?(笑)
これは笑っている、面白がっている感情が入っているように見えますね。
文字に情報が乗っているわけではない
でもこれよく考えると、文字に情報が乗っているわけではない。
あくまでも文字を見た自分自身が「勝手に」そういう付加情報を付け足しているだけ。
脳とは不思議なものです。
自分自身がそれぞれの文字をどこまで認識し、どこまで意味付けをしているか。
その多さで、文字から得られる情報は増えます。
多角的に捉えるためにはインプットが大事
今回の文字の話は、インプットの量が大事という話に行き着きます。
鉤括弧ひとつとってみても、強調だったり発言だったり、他の意味合いもあるかもしれない。
そういった様々な解釈ができるようになるためには、その文字について知っておかなければいけない。
それは文字に限らず、いろんな場面にも適用できます。
ひとつの文字、ひとつのもの、ひとつの事象。
それに対してたくさんの意味を知り、他のものごとと関連づける。
そうすることでひとつのことがらから、とても広く柔軟な着想が得られるかもしれません。