Binary Diary

ありのままでいいのかな

EMのEはEmotionalのE

どうもこたにんです。

本記事は Engineering Manager Advent Calendar 2019 13日目の記事です。

あらかじめ共通言語として「エンジニアリングマネージャー」のことを「EM」と省略して記載することを認識ください。

 

EMのEはEmotionalのE

f:id:Kotanin0:20191213155725j:plain

本記事の結論から。
EMに必要なスキルって、結局は「エモさ」なのかな、という結論。
EMのEはEmotionalのE(かもしれない)、という結論。

EMは人を見る

様々な領域で様々なスキルが必要とされるなんでも屋さんなEM。
どういうスキルを使って何をしたところで、行き着くところは「人」なのかなって。

事業のミッションのために技術的意思決定を行ったとしても。
具体的にプロダクトに落とし込むための開発手法を定義したとしても。
その技術、その手法でモノを作るのは、人です。

大局的な意思決定はEMが担っていても、ミクロな手段やプロセスの一段階における意思決定は、その業務の当事者に依存します。
EMとしては、大きな方針にブレが生じないように、メンバーを適切にマネジメントする力が問われます。
そこで様々なマネジメント手法を参考に試行錯誤しながらアジリティを高めようと奮闘します。
個々に自由意思があるようにしつつ、俯瞰すると決定論に見える立ち振る舞いをします。
その自由意思のベクトルの向きが違わないようにするためには、個すなわち「人」を見なければいけない。
 

「人を見る」という意味

人を見る人を見ると言っていますが、人を見るとはどういう意味でしょう。

意訳的には、人の内面を見ることを指すことが多いと思います。
それはそのとおりで、内面を見ることで、その人の性質や強みがわかります。
その人のどういうスキルをどうやって活かしてもらうか。
そのためには、人の内面を見ることが必要になります。

ただ、文字そのままに、物理的に人を見る、というのも大事になってきます。
人は見られること、視線をもらうことによって、個の認識がされている自覚をします。
「あ、あの人わたしのことを見てくれている」と意識させることが大事です。
そうすることで個を見てもらえている感覚が芽生え、そこから個の強みを引き出すアクションを取っていくことができるようになります。

人の内面だけでなく、外側から物理的に視線を飛ばす、文字通り「人を見る」こと。
それが、EMは人を見る、というお話。

人はEMを見ない

EMはEMとして、EM的なスキルや取り組みにフォーカスします。
「いかにメンバーが働きやすいか、能率が上がるのか」などを考えます。
前述したとおり、EMは一生懸命に人を見ます。

ただ、メンバー側に立ったとき。
メンバーはEMを見ないのです。
正確に言うと「EMとして立ち振る舞っているあなたを見る」のです。

EMとして開発プロセスを改善したりフローや課題を可視化したりしたとき。
メンバーは、自分が業務をする上で周辺環境が改善されていることを気付きます。 
そのときに「EMがやってくれた」ではなく「○○さんがやってくれた」と認識します。
EMではなく、あなたがやってくれた、という視点で見るのです。

昨今なんとなくブームになっている退職エントリ。
数多ある退職エントリによく出てくる「信頼できる上司がいなくなった」という項。
EMではなくあなたを見ている、ということを語っている一節だと思っています。

EMという言葉が浸透していない

あなたがやってくれた、という視点になる理由はこれに尽きるかなと。
組織拡大やプロジェクト発足などのさまざまなきっかけでEMという責務を担う人が多いEM界隈。
ひとたびEMという言葉を知り、役割を考えると、インプットできる情報は増えます。
EMとして必要なスキルや教則本、経験や傾向など、さまざまなことを知ることができます。

ただ、EMという言葉は想像以上に浸透していないです。
ひとたびマネジメントレイヤーから離れると、そこにはEMという言葉のない世界になります。

現職で、新卒エンジニアが現場にランディングしてからを見てて思った。
ラインマネジメントとしての「マネージャー」という言葉は認知されている。
が、エンジニアに特化した「エンジニアリングマネージャー」という言葉は一言も耳にしない。
現場にとってはそのロールは意識されない。
EMとしてではなく、その人がわたしの上司だから、いろんなことをしてくれている。
やってくれたことその人対しての感謝の意が表されるわけです。

人はEMを見ない。
ただし「EMとして立ち振る舞っているあなたを見る」のです。

EMのEはEmotionalのEかもしれない

少し自分の話をする。
わたしがこの2019年の1年間でEMとして立ち振る舞ってたことを思い返す。
自分のEMとしての立ち振る舞いを見ていたメンバーを思い返す。
わたしは、メンバーからどんな風に見えていたのか。
メンバーからどんなフィードバックを受けてきたのか。

「エモい」

と言われることの多い1年だったなと思った。
それは直接のライン配下のメンバーからもそうだし、ライン外のメンバーからもそう。
新卒中途関係なく、様々なところから「エモい」という言葉を浴びた。

後の時間を気にせずに無限に1on1をしたり。
ランチや飲み会に積極的に参加したり。
金言っぽいことをそれっぽく大きな声で伝えてみたり。
私生活のお悩み相談をしたり。
一緒の趣味ではっちゃけてみたり。

自分も相手も結果「人」なの。
であれば、その人自身を突き動かすには、理性で抑制できない感情に訴えかける。
いろんな取り組みを経て、仕事においては煽り型リーダーシップを発揮してみたり。
なんだか感情が動かされること、ぐっとくることを周囲は「エモい」という言葉に形容する。

結論的にエモくあっても、そのための手法はさまざまなフレーバーを調合したもの。
どんなスキルであろうと、それは人に対して行うもの。
エッセンスであるべき部分は何も変わらず、人を見続けていた。
そこがエモさ、Emotionalに行き着いたのかもしれない。

まとめ

そんな体験から、EMのEはEmotionalのE(かもしれない)、という結論。
EMに必要なスキルって、結局は「エモさ」なのかな、という結論。

まとまりがなさそうでもなんとなく伝わっているように感じるエモさ。
EMのEは何のE?っていう大喜利で年越せそう。