どうもこたにんです。
理想と分相応
「理想」とは、思い描く最高のすがた、最も望ましいかたち。
「理想的な恋人」 など、自分にとってパーフェクトな、申し分ないすがた。
「分相応」とは、あんまり耳馴染みないかもしれないです。
「身分や能力にふさわしいこと」とあります。
高望みしない、ってことです。
この「理想」と「分相応」って、とても大事な違いだなという話。
理想は高く持ちたい
「理想」となるとやはり高く持ちたいものです。
それは自分がなりたいすがたかもしれないし、周辺環境なのかもしれない。
「理想」を持つことで、自分のやるべきアクションも見えてくるかもしれない。
分相応という妥協
ただ「理想」を描いたところで、それに満たないことは多いです。
「理想と現実」と言われるけど、この場合の現実とはすなわち「分相応」ということ。
理想に辿り着けないところを妥協して、落とし所を見つける。
高望みせず、自分にとって相応しいところに着地させる。
分相応がわかれば理想に近づく
かもしれないなあと思った。
分相応な自分、分相応な環境に身を置くことで、理想までの距離がハッキリと見える。
そうすると、理想とのギャップから取るべきアクションも具体化できるかもしれない。