Binary Diary

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運をコントロールしていこ

どうもこたにんです。
 

運って

運って、神がかり的な、神秘的なものと思うことが多いと思いますが。
運って、コントロールできると思ってるのです。
これは運というオカルト要素に対するオカルト的アンサーなのだけど。

運と運命

「運」と聞くとなにかランダム性を感じます。
しかし「運命」と聞くとどうでしょうか。
そこには何か決定論的なものを感じます。

それはとてもふしぎなもので、運命論=決定論、というイメージが湧きます。
運はどうしようもなさそうなのに、運命となれば掴み取れそうな感覚。

運を決定論にする

そこで、運を決定論にしてしまうのです。

何か運がいい、もしくは運が悪い事が起こったとき。
「運が悪かった/良かったんだね〜」で片付けるものではなくて。
「あのときのあれがあったから、運が悪かった/良かった」とする。

何か先行して起こった事象から運というものは紐付けられる、と考える。
それが「運を決定論にする」ということ。

運をコントロールする

決定論にする、それすなわち運をコントロールすることだと思うのです。
それはオカルト的に、コントロールした気になる、ということです。

たとえば自分の実体験をもとに話すと。

当選確率がそこまで高くないアーティストのライブチケットがほしい。
そのためには、そこで運を放出しなければいけない。
ということは、それまでに運は使うべきではない。
ので、今当たってしまった、あいすの当たり棒は噛み砕いてゴミ箱に捨てる。
ここで運を断ち切ったことで、ライブのチケットが当たるのである。

といった考え方。
これは明らかに運をコントロールしている(ような気になる)のです。

運コントロール

大なり小なり、日常生活には運が潜んでいます。
それを適切にコントロールしていく。

「運コントロール」と名付けてみたよ。
声に出しては読みたくないね。