どうもこたにんです。
「バリューで返せ」を使う意味と意義と真意
「バリューで返せ」という言葉がとても好きで、よく使っていた。
ちなみに自分で作った言葉。
それは特に後輩によく使っていたのだが、自分が後輩に何かをしてあげたときに、決め台詞として使っていた。
ご飯を奢ったり、遊びに連れて行ったり、物をプレゼントしたり。
私の性質として「してあげたがり」というのがあるかもしれないが、何かしてあげたくなることが多かった。
そのときのしてもらい側、後輩側としては「ありがとうございます!」に尽きるのだが。
その感謝を聞きたいというよりも、その感謝のあとに「バリューで返せ」って言いたいから何かしてあげるまであった。
それは、以前よく使ってた言葉だと「恩の回収」をするためである。
ちゃんとした言葉で表すと「返報性の原理」というやつである。
何かしてあげたら、返してあげたくなる、というやつである。
これは人間の心理として、なぜか当たり前に持っている感覚らしいのである。
この感覚は非常に大切で。
私自身が、これまでの人生経験、特に仕事上で、先輩や上司などからとても多くのことを学び、ご飯を奢ってもらい、そのたびに感謝している。
そして学んだことを活かして、その人に返してあげたいと思うのである。
仕事を成功に導くために一翼担いたいとか、大きな役割を任せてもらって完遂したいとか、楽しいイベント連れて行ってあげたいとか。
そういう感情、好意の返報性を感じることが多かった。
し、返報性があるからこそ、持ちつ持たれつ、互いに幸な取り組みができていたと思っている。
これに対する私なりの解が「バリューで返せ」なのである。
私は今あなたにとって良いことをしました。
あなたが今私から受けたのは好意です。
私はその好意に対して返報性の原理に則ってください。
あなたには私に好意を返したくなると思って欲しいです。
というのを明示的に伝えるのが「バリューで返せ」という一言。
バリューというのは、いつだっていいし、なんだっていい。
お金くれたっていいし、美味しいご飯だっていいし、仕事の成功でもいいし、十年後に出世する姿を見せるでもいいし、遊んでくれたっていいし、来世で会おうでもいいし、なんだっていい。
「価値」「VALUES」と書かれたTシャツをプレゼントするでもいい。
そういうジョークをさらっとやってのけるマインドすらもバリューである。
自分がバリューだと思ったもの、返してあげたいと思ったものがバリューなのである。
なんだっていい。
これが、私の言う「バリューで返せ」の真意である。
好意の返報性を明示的に植え付けて、恩を回収しようとしているわけです。
古くからこの考えはあります、「情けは人の為ならず」ってことわざがあるくらいには。
因果応報という言葉でも説明できます。
人間の歴史上、好意の返報性というのは深く根付く考え方というわけです。
まあ実際、バリューで返せというのは投資みたいなもので。
大きく返ってきたものもあれば小さいのもあるし、まだ返ってきてないけどいずれ大きくなる見込みのものもあれば、返ってこなかったものもある。
そんなもんよ。
わたしだって返せてないバリューまだまだたくさんある気がするし。
どんどん返してこ、バリュー。