Binary Diary

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親の思考をトレースすること

どうもこたにんです。

 

親の思考をトレースすること

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わたしには個人的に、育ての親だと思っている人がいる。

それは仕事で、社会人としてというか、今の自分があるのはその人が育ててくれたからというか。

そう思える人がいる。

 

正直、ここ数年は育てられてはおらず、親からの教えを全うして過ごしていた気がしている。

だし、直近ではわたしは職場を変えたので、直接的に教わることは、もうない。

 

教わってもおらず、近くにもおらず。

そんな状況であろうと、親の力は偉大だと感じる。

何をするにしてもそばに居る感覚がある、ヒカルの碁でいうところのサイみたいな。

サイとは違って声は聞こえないし姿も見えないけど、思考にいてくれる感覚。

 

それはおそらく、長らくその親に教え込まれたことのせいなのだと思う。

教えられたのは、技術スキルでもなくビジネスマナーでもなく、思考だから。

見た目の出来事や具体的な手段の力ではなく、考える力を教え込まれたから。

考える力、答えを導く力、水平思考、ロジカルシンキング、呼び方はなんでもいい。

とにかく考えること、考える道筋、そういったものを教え込まれた。

 

教え込まれたというよりも、常に考える環境に放り込まれていた、の方が近いかもしれない。

なにかたった1手で進む環境というより、持ち駒がどこにどれだけあるか把握して何手で物事が進むか考える環境を与えられ続けた。

「やり方」を教えるとそれしかできないが、「考え方」を教えると他にも転用できるから。

その当時の私自身としては、なるべく自分でやりきりたいので、親の仕事の進め方をとにかく観察して、親の思考を必死にトレースし続けた。

 

その結果として、ある程度は育った(気になってるだけかもしれないが)と思っている。

し、その思考で日々仕事をしていると、親の姿が後ろにあるように感じる。

それは自分が思考のトレースができていて、同じようなロジックで、アウトプットできている状態だと感じる。

それがなんとも安心感がある。

 

必ずしも全く同じではなく、私なりの独自の考え方もある。

親になる必要も親になるつもりもなく、同等の考えに沿って、自分の考えをマッシュアップさせていくのである。

根幹の考え方は一緒にしつつ自分の肌に合うやりやすい思考にするのである。

そうすることで、より自分を出しつつ良い成果をあげられる。

 

感謝しかない。

この声が届こうと届かないだろうとどちらでも構わない(多分届かないから)。

私ができるのは、今の職責で成果を出している姿を見せることと、いつかお互いの会社背負ってパブリックイベントで対等の立場で再会することである。