Binary Diary

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記憶の引き出しを開けるキーは人それぞれ

どうもこたにんです。

歴史という科目がとても苦手だった

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中学校でならう基本5科目ってあるじゃないですか、国数社理英。
その中の社会、さらにその中の歴史。

歴史って、年号を覚えるという施策があるじゃないですか。
1192(いい国)作ろう鎌倉幕府、894(白紙)に戻そう遣唐使、とか。

あれって、年号を覚えて、さらにその出来事の背景を覚えるんだと思っています。
鎌倉幕府が誰によってはじまったのかとか、どういう時代だったのかとか。
まあそういったストーリーを知るわけじゃないですか。

なんだかどうしてもそれが苦手で。
なんで苦手なのかはわからないけど、とにかく覚えられないのです。
人とイベントとの関連付けがわからないし、他の出来事とごっちゃになるし。

ストーリーではなく教科書の光景で覚える

かといって試験で低いスコアを出すわけにもいかず。
自分がやっていた方法は「教科書の光景で覚える」というやり方でした。

このやり方にかなり近いんだけど。
用語とか登場人物とかを、教科書に書いてある光景で覚えてしまっていた。

鎌倉幕府というページには必ず源頼朝が書いてある、はず。
試験の問題で「鎌倉幕府を創始した人物は?」と聞かれたら、その光景を思い出す。
そうすると、問題に答えられるわけです。
ストーリーは知らずとも、関係性のある人物は光景で覚えているから。

そういう勉強法を取り続けた結果、歴史がみるみる苦手になっていたわけです。
ストーリーで覚えられず、光景でしか覚えていないから。
他のページでつながっているかどうかを知ることができないわけです。

数字をキーにして覚える

それは出来事だけでなく、出来事が発生した年号すらも。
1192作ろう鎌倉幕府、なんてものはメジャーすぎるのでさすがに覚えている。

他の年号だとどうだろう。
645とか1549とか1600とか、1919とか。
そういった年号は、数字で覚えてしまっている。

「歴史」という知識フレームの中で645と言われたら大化の改新
1549と言われたらキリスト教、1600と言われたら関ヶ原の戦い

そういった具合で、絶対的な数字をキーにして覚えてしまっているわけです。
1024と言ったら2の10乗、とかそういった具合です。

これは歴史に限らず、さまざまな知識フレームでこの覚え方になっています。
数学は言わずもがな、理科や物理や地理、音楽や国語までもがその影響を受けています。

「3大バレエ」と言われたら、「あああの10文字の曲が3曲ね」という引き出しの開け方になってしまっているわけです。
夏目漱石の小説」と言われたら、「漢字2文字のやつと3文字のやつと、ひらがな混じった5文字のやつと...」という引き出しの開け方になってしまうわけです。

誠に遠回りかつ開けづらい引き出しの開け方です。
それでもわたしにとってはその覚え方のほうがしっくりくるし、記憶しやすい。

記憶の引き出しを開けるキーは人それぞれ

シナスタジアとは少し違うけど、わたしの脳には数字が親和性が高いらしい。
わたしが何かを覚えたり思い出したりするときは、記憶の引き出しを開けるキーは数字。

これに共感する人もいるだろうし、しない人もいる、それはわかっている。
記憶の引き出しを開けるキーは人それぞれ。

だからわたしは、この世界から数字という概念がなくなると困るなあって。
とりとめもないまとめかたで終わります。

 

それでは聴いてください。

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