Binary Diary

誰かに会ったり 話しかけたり 街行く人に優しくね

やりたくないことをやる

どうもこたにんです。

 

日記。

 

やりたくないことをやる

という場面って、わりと多いのかなと思います。

仕事でもそうだし、日常生活でもそういうことはままありますよね。

 

例えば、出さなければいけない書類がある。

締切が決まっているし、書かなきゃいけない項目も多い。

なんとなく感覚的に、やりたくないなあと感じる。

 

例えば、ステークホルダーに説明しなきゃいけない事案がある。

説明材料を集めて、共通言語に落とし込んで、資料化する。

なんとなく感覚的に、やりたくないなあと感じる。

 

やりたくないことは、わりと潜んでいる。

 

なんでやりたくないのかを考える

するとそこには、感覚的な部分が多いと気付く。

めんどくさい、時間がない、プレッシャーがかかる、確認が煩雑、わからない。

不確実で不明瞭なところや、フレーム化されていないところ。

そういったところに対して、感覚的に嫌になる。

その結果、やりたくないという行動に現れてしまう。

やらない、という決断をしてしまう。

 

それでもやらなければいけない

ということは間違いなくある。

そのときに、めんどくさいなどという感覚を超越する何かが必要となる。

 

それが、責任。

少し言い換えると、裁量、決定権。

 

やらなければいけない、というのをネガティヴに捉えるのかポジティブに捉えるのか。

そこ次第で行動への現れは大きく変わる。

 

やれば済む

やらないから、余計にやりたくなくなる。

やれば済む。

不明瞭なところも、不確実なところも、やればわかる。

 

アクションをしよう。

やれば済む。