Binary Diary

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前職を離れてから1年が経ちました

どうもこたにんです。

 

ウラベントカレンダー20日目。

 

前職を離れてから1年が経ちました。

職場が変わるとどうしても相対的に比べてしまうことは多い。

 

すごく単純な表現をすると、技術の資産がない場所になった。

前は、9年弱で作り上げた技術資産があったし、多くの技術を活用していたので種類も豊富だし、何か書きたい作りたいってなったときにツールで困ることは何一つなかった。

今の場所は、リポジトリはまだ育ってないし、実績のある技術もまだないし、何か作りたいとなってもツールや環境がまだ足りなかったりする。

技術の資産がないと、作りたいに対する初速が遅くなる。

 

もうひとつ単純な表現をすると、成長の機会が増えた。

技術でもマネジメントでもドメインでもビジネスでも他業種でもなんでもいい、とにかく自分自身の知識や経験として、無知を知に変えていく営み。

成長のベクトルにこだわらなければないだけいい、こんなに成長の機会に恵まれることはそうそうない。

上から下までやれることだらけ、課題見つけて解決の繰り返し、コンフォートゾーン抜け出し放題。

技術の資産がないことも成長の機会である。

業務に関わる成長に限らず、多方面の自己成長のきっかけも多い。

その成長の機会に対する支援もある。

 

なんで前の会社を離れたのか、それを書いてなかった気がする。

 

成長の鈍化を感じた。

新しいことや知らないことを経験し成長する機会はいくつもあったのだが、自分の体感として過去に比べて直近ではその機会を活用しきれずに、成長の鈍りを感じていた。

当時の自分の立場や役職上、持っていないスキルを身につける取り組みよりも、持っているスキルを発揮する役割を担うことが多かった。

できないことをもっとたくさんやって成長をしたい、できることをやり続けても成長は鈍い、成長痛を感じたい。

それを成長の鈍化と表現した。

 

成長の鈍化を感じていても、辞めるつもりは全くなかった。

役割と仕事はちょっと多いけど楽しいし、慣れた環境だし、会社にいる仲間はいい人たちばかりだし、給与に不満はなかった。

今の役割のまま居続ければ生活は安定するしなあと思っていた。

成長と安定を比べて安定を選んでいた。

まさにコンフォートゾーンに居た。

 

社内を見渡せば成長のフィールドや機会はたくさんあったが、それらは基本的に後進の成長の機会にするという考え方をしていた。

これは役職上仕方のないことだし、後進を成長させることが私の成長につながるし、私自身で成長できる別の機会を見つけるか生み出せばいいだけなので。

ただ、私が見える範囲や考えうる範囲やできうる範囲では、なかなかどうしてその機会を作ることができず、そもそもその余裕がなかった。

自分自身の余裕の無さを理由に、成長に蓋をして安定を選んでいたのである。

 

ふと、ちょっと時間が空いたときに考えた。

自分は成長を終えて良いのか、成長に蓋をして過ごして良いのか。

これまでの社会人人生、15年近く成長し続けた。

これからの社会人は30年近く続くし、シンギュラリティはあと20年でやってくる。

今まで過ごしてきた社会人よりも長い年月かけて社会人を続けることになる。

そう考えたときに、もう成長をやめてしまっていいのか。

 

1on1が得意であるというスキルが裏目に出た。

 

そのタイミングで、外を見た。

タイミングとは不思議なもので、そのタイミングで今の会社の話が耳に入ってきた。

今しかないと思った。

蓋を外した。

成長したい。

 

これ以上の理由はない。

 

この1年は、成長の機会が多い。

環境が大きく変わっているから当然だし、会社のフェーズが全く違うから当然である。

結構苦しいシーンもあるし、昔の芝生はとても青く見える。

当たり前にできていたことが、当たり前にはできない環境でもある。

 

とても成長痛を感じる。

これが私が求めていた成長なのかもしれない。

なんか今、ひとつ成長した気がする。